町内会はなぜ必要か

 

 町内会は「なくても困らない組織」ではなく、「なくなると確実に困る最後のインフラ」です。

 少し大げさに聞こえるかもしれませんが、これは歴史と現実がしっかり証明しています。町内会のルーツは、あの応仁の乱という“カオスの極み”の時代にまで遡ります。治安も秩序も崩れた中で、人々は「自分たちの暮らしは自分たちで守るしかない」と気づき、小さな地域共同体を作りました。いわば町内会は、日本版“サバイバルチーム”として誕生したのです。

 江戸時代の五人組や「五保」の仕組みも単なる監視制度ではなく、実は相互扶助のネットワークでした。「食べ物がないなら分ける」「衣服がないなら予備を差し出す」「燃料が足りないなら使ってもらう」「葬儀の時はみんなで助ける」。現代風に言えば“ご近所版セーフティネット”です。つまり町内会の本質は、ずっと変わらず「助け合い」なのです。

 島国という地理的背景に育まれた日本民族の特質は「集団主義」「礼儀・秩序」「空気を読む(配慮)」という習性と、日本民族特有の集団の「和」を重んじる、謙虚で勤勉、時間やルールを厳守する高いマナー意識を持つ習慣と、意思表示が控えめで感情を表に出しにくい資質を育んだのです。

 加えて、鹿児島から南へ約100kmの海底にある喜界カルデラは、7300年前に大噴火を起こしました。世界的に見ても最も新しい地球史上最大のカルデラ噴火で、吹き上がった火山灰は成層圏まで達し、偏西風に運ばれて青森県にまで運ばれ数センチも堆積しました。火砕流は薩摩半島や大隅半島をなどを襲い、南九州地方の縄文人はほぼ壊滅しました。

 その後、定住生活が再開されるまでにおよそ数百年から千年くらいはかかっただろうと推定されています。日本民族は未曽有の災害を経験して、保食(食事の保障)・保衣 (衣服の保障)・保燒 (燃料の保障)・保教 (教育の保障) 保葬 (葬儀の保障) の5つ、略称して「五保の大切さを体得したのです。

 そして現代にいたると、縄文時代の精神は忘れられて便利なサービスが増え、葬儀も宅配も行政手続きも“外注可能”になりました。その結果、「町内会って必要?」という声が増えたのも無理はありません。しかしここに落とし穴があります。便利さは、いざという時には意外と脆いのです。

 例えば災害時。阪神・淡路大震災では、多くの人命を救ったのは行政でもプロでもなく、近くにいた住民でした。「あの人はこの家に住んでいる」「高齢のおばあちゃんがいたはずだ」といった情報は、日頃のつながりがあってこそ活きます。名簿よりも“顔見知り”のほうが強いのです。

 一方で札幌でも、町内会の加入率低下という静かな危機が進行しています。加入者が減る→活動が縮小→情報が届かない→さらに人が離れる…という“負のスパイラル”。気づけば、防犯も見守りも環境美化も「誰かがやるだろう」で空白になってしまいます。

 重要なのは、町内会は「行政の代わり」ではなく「行政と住民をつなぐ接点」だという点です。イギリスや三鷹市の事例でも示されているように、これからのまちづくりは“住民主体”。ただし主体になるには、土台となるコミュニティが必要です。町内会はその“舞台装置”なのです。

 もちろん、昔ながらのやり方のままでは続きません。個人情報への配慮や、多様なライフスタイルへの対応など、アップデートは必須です。ですが、それは「やめる理由」ではなく「進化させる理由です。スマホが進化しても通信網は必要なように、形が変わっても町内会の役割は消えません。

 
 最後にもう一度。町内会は「なくてもいいもの」ではありません。なくなったときに初めて、その価値に気づく“最後のインフラ”です。

 あなたが次に読む記事は「町内会を再生するには」です。